麒麟がくる子連れお出かけ♪家康祖父が焼き討ち!信長が保護した猿投神社(豊田市)へお参りしました!

車の街・愛知県豊田市にある、有名な猿投(さなげ)神社にお参りしてきました。

交差点の一角にある総門

猿投神社は歴史が古く、戦国時代には時代の波にも巻き込まれ、あの織田信長公とも縁がありました。

「これは『麒麟がくる』ゆかりの地!?」

ということで、さっそく子供たちとともにお参りしてきました!

今回は、猿投神社の境内の様子、『麒麟がくる』とのゆかりポイントについてご紹介したいと思います。

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猿投神社の基本情報

★名称:三河国三之宮 猿投(さなげ)神社

★住所:〒470-0361 愛知県豊田市猿投町大城5

★アクセス:猿投グリーンロード「猿投IC」より車で約5分

★駐車場:あり(無料)

★主祭神:大碓命(おおうすのみこと)

★相殿:景行天皇(第12代)、垂仁天皇(第11代)

★御神体:猿投山

★大祭:

  • 初午祭(旧暦2月初午の日)
  • 例祭(10月第2土、日曜日)

★TEL:0565-45-1917

総門前の案内
三の鳥居近くの案内

大碓命って、日本武尊(やまとたける)の双子のお兄さんなんですね!

大碓命はこの地を開拓し、猿投山で毒蛇によって命を落としたと言われています。

大碓命墓(おおうすのみことのはか)も神社内(西宮)にあるそうなのですが、私はわかりませんでした!(;ω;)

『麒麟がくる』ゆかりポイント

『麒麟がくる』に登場するのかはわかりませんが、こちらの猿投神社は戦国時代、三河をめぐる覇権争いに巻き込まれました。

松平清康(徳川家康公のお祖父さま)が焼き討ちし、織田信長公に保護されたという歴史があるようです。

天文3年(1534年) 6月22日、松平清康によって攻撃され、9つの堂塔が焼失。その後、梅坪城主の三宅氏や那須氏などが再建した。 永禄4年(1561年)に織田信長が三河の高橋荘を支配下に入れると、猿投神社を保護した。

「猿投神社」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2020年7月17日 (金) 8:39UTC
URL:https://ja.m.wikipedia.org/wiki/猿投神社

焼き討ちされた天文3(1534)年6月22日って、まさに信長公が生まれる前日ですね!

(信長公の誕生日は、ユリウス暦では1534年6月23日となっていますので)

本当に、歴史の波を感じます(脳裏に『麒麟がくる』のオープニングテーマが流れてきます)。

ありがとう!信長さま!(染谷将太さんの信長が脳裏をよぎります(〃ω〃))

(↑1人で『麒麟がくる』妄想中)

いざ、猿投神社へ行ってきました!

そんな歴史ある猿投神社に、いざお参りです!

参道の竹林が清々しい空間をつくってます。

竹を割ったらかぐや姫がいそうな竹です

御神馬↓

三の鳥居↓

拝殿↓

四方殿↓

四方殿は床が少し高くなっていて、四方に石段があって上りたくなりますが、「昇らないでください」とちゃんと書いてありました。

上りたくてしょうがない!けど我慢!

太鼓楼↓

結構高く感じました

中門でお参りさせていただきました。

どうしてそうも階段が好きなのかしら?

神様に向かって左手に進むと拝観できる親子ざる↓

そのまま進んで厳島社です↓

向かって右(参拝順路)に進むと、摂社が並んでいます。

熱田社↓

塞神社↓

八柱社、八幡社↓

大国社↓

参拝したときは日没前で、聞こえるのはセミの声と玉砂利の音(と私たちの話し声)だけで、とても静かでした。

ピンと張りつめた空気と静けさに、子供たちも楽しみなが様みてる?」と話していました(よしよし)。

まとめ

以上ここまで『麒麟がくるお出かけ♪家康祖父が焼き討ち!信長が保護した猿投神社(豊田市)へお参りしました!』をお届けしました♪

西暦192年に創祀され、1000年以上後には明智光秀公の主君・織田信長公に保護されたという歴史の重みを感じる、神秘の空間でした。

境内は(総門の敷居やお賽銭箱の前以外は)ほとんどなくて、ベビーカーでもよちよち歩きでも進みやすいと思います。

私たち家族も楽しく参拝して、日頃の感謝をお伝えしてきました。

みなさんもぜひ、足を運んでみてくださいね♬

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